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3.11の記憶

  • 執筆者の写真: Show Kazami
    Show Kazami
  • 3月11日
  • 読了時間: 2分

思えば、あの日のことを、こうして詳細に綴ったのは初めてかもしれません。



今日からちょうど14年前、

最大級の被害をもたらした東日本大震災…


あの時間、私は家に居て、

かつてない大きな揺れに慌てて家の外へ出ました。

電線がぐわんぐわんしなり、

周りの家屋がガタガタと音を立てて動いています。


私と同じように驚いて出てきた隣のおばあさんと「怖いね…」と身を寄せ、

しばらく立ち尽くしていました。


今にも崩れそうに古いわが家は、

しかし土台が昔のままで免震構造のためか、倒壊せずに無事。


ようやく揺れが落ち着き、私が家の中に戻ったころ、

外出中だった母が

「電話かけても出ないし!」

と慌てながら帰宅。

私は家の中に携帯電話を置いて飛び出していたのでした。


母いわく、スーパーで買い物し終えたところで地震に合い、

慌てて車に乗り、

信号が消えた道路を恐る恐る運転して帰宅してきたそうです。


その時から電気も水道も止まったので、日が出ているうちに、

懐中電灯などの防災用具や石油ストーブの確認をしました。


ラジオに耳を傾けながら日が沈んでゆき、やがて真っ暗に。


でもその時は、そのうち復旧するだろうからと、家族みんな落ち着いて話していました。


まだ雪のちらつく時季だったので、

夜になると急に冷え込みます。

そして余震が来るたびに、

すぐ避難できるよう車の中へ駆け込む、ということが続きました。


そして、その夜中だったでしょうか。

現状を知るために、ラジオでなくニュースでも観ようかとつけたTV。


車の小さなナビ画面で、

私たちはその惨状を知ることとなります。

荒い、ガサついた映像が今でも目に焼き付いています。



それから数時間後の早朝、沿岸の方角の、山の上の空は赤くけぶっていて。


それは、朝焼けなのか、火災の炎なのか、それとも被害に遭われた人々の叫びなのか…


ああ、この空は一生忘れられない…と、冴えた空気に目をつむり、合掌したのでした。




……沿岸の地に、思いを馳せて

 
 
 

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